「めんどくさい」けど「おもしろい事」

実はおもしろい事には「めんどくさい」が付きものかもしれないと考えています

ずばり、趣味ですね。

「めんどくさい」のに「おもしろい」ことってなあに?

ずばり、趣味ですね。
自分は、バイクに乗りますが、東京で2年間暮らしていた時期がありました。
その頃は、バイクが好きで好きで、いつでも乗っていたいと思っていたのですが、就職直後ということもあって、頭の中が仕事でいっぱいになったことがありました。
正直言って、都会でのバイクライフは楽しくありませんでした。
バイクという乗り物は、気持ちよく乗るには、経験上、周りの環境に大きく影響されてしまいます。
一つは、天候で、雨や雪では乗りたくないし、また、寒さや暑さにも大変弱い乗り物です。
さらに、都会の交通渋滞や信号待ち、バイクを軽視している車の挙動など、敵はいっぱいいます。
そして、最終的には、道路環境です。
天候の気持ちの良い、景色が綺麗で見通しが良く、さらに、自分以外の車やバイクが走っていない、自分の好きなスピードで気持ちよく走れる状態が理想です。
理想環境と気持ち良さが合体すると、バイクに乗るのがやめられなくなります。
しかし、バイクはとても「めんどくさい」乗り物です。
ヘルメットやグローブ、身に着ける安全や、雨が降ればカッパを身に付け、暑い時には暑さに耐え、寒い時には寒さに耐え、これらの忍耐を経験するだけで、嫌になってしまいます。
本当に、気持ち良さの一瞬のために、準備し、耐えながら、次の気持ち良さのために走っているのかもしれません。

キャンプは「めんどくさい」

キャンプも同じです。
自分は、ソロキャンプしかしませんが、暑い時や寒い時は、キャンプには行きません。
ただ、行きたい気持ちはあるのですが、暑さ寒さを何度も経験すると、少し億劫な(めんどくさい)気持ちになっているのです。
でも、気持ちの良いシーズンに、高原なんかでキャンプで焚火をしながら、ビールを飲んで、焼肉やステーキを食べると、生きててよかったなと思えたりします。
反面、キャンプ場の場所を探すのに手間取ったり、準備と後片付けがめんどくさかったり、他のキャンパーがいると気になったりと変ですね。

デジタルカメラFOVIONという名のイメージセンサー

デジタルカメラから出力される画像は、年々向上し、カメラ好きの財布を圧迫しているように感じます。
普通のデジタルカメラのセンサーはベイヤー型と呼ばれるセンサー配置です。
iPhoneの中に入っているセンサーも同様です。
もう一つ、デジタルカメラのセンサーにはSIGMAというメーカーが使っているFOVIONが採用しているセンサー配列があります。
このカメラは、半端なく「めんどくさい」のですが、出力された画像を見ると、なぜか許せてしまいます。
FOVIONというイメージセンサーが出力する画像の画質が半端なく良いという事実が「めんどくさい」を上回ってしまうのだと思います。
下の写真は、SIGMA初代DP1が出力した500万画素相当の写真をリサイズしたものですが、すっきりとした画質には今でも驚かされますね。SIGMA DPシリーズの私のサイトへのリンクです。

めんどくさい感情を消し去るもの

一つは、欲求という感情だと考えます。
趣味は、〇〇したいという欲求で、欲求が欲求を呼ぶと「めんどくさい」を忘れてしまいます。
さらに、気持ちの良い体験をすると、その気持ち良さを、また、体験したくて、さらにのめり込みます。
それ以上の体験、もっと、もっと要求が高くなっていきます。
向上心があるときに、何でも上手になってくると、さらに楽しくて、やめられなくなりますね。
さらに、その先を求めて、彷徨ってしまうこともあるので、「めんどくさい」です。

個人の欲望

「めんどくさい」を消し去る欲望ですが、欲望には限りがないのも困ったものです。
「めんどくさい」という感覚は、自分のしていること、考えていること、それらが、現在の環境に適しているかどうかを測るバロメーターになっていると考えていましたが、実際に、自分の欲望のことに関しては、「めんどくさい」は通用しないことがわかってきました。
「めんどうくさい」と思っていても、欲望の方が勝っているようです。

欲望の制御は

個人の欲望の制御は、自分でしかできません。
「足るを知る」この言葉で、自分は自分の欲望を制御しています。
でないと、多くを求めてしまって、もっと「めんどくさく」なってしまいますから。

集団の場合はどうでしょうか?

人の不幸、対岸の火事、は嫌いな人やどうでも良い人が、不幸になると、自分の方が優越感を感じるのだろうか。
残酷なことに対して、快感を得ることもあるとされています。
人間は、欲望のためには、何でもしてしまう習性があるようです。
特に、集団心理だけは、怖いですね。
戦争や争いなど、よく考えればわかるでしょう。
集団の立場という理不尽には驚かされますね。
オリンピックは、国対抗のような競技であるために、どうしても自国を応援してしまいます。
国民は、なぜか一体感を感じることで興奮と優越感を感じてしまいます。
自分が競技にも参加していないのに、そのグループの一員でもなく、単に同じ国の人間だけなのにね。
日本という国民の優越性と他国への承認欲求なのかもしれません。
そんな自分も、オリンピックで自国の選手が勝つと、なぜか嬉しいですね。


おもしろいと言う欲望は、自分の中で押さえ込み、他人には関わらない方が良いのかも知れません。

ただ、個人の楽しみを共有できる相手がいると、さらに、おもしろいですが、程々にした方が長く楽しめるかもしれません。

※この文章はjuly-2020に書きました。POP KARAIE 唐家克也

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