人生の主役は誰?

人生の主役は誰?自分の時間を生きていますか?

何で、自分は人生の主役になれないのだろうか?
と疑問や「めんどくさい」を感じている人は、感性の優れている人だと思います。

私たち、日本人は、家族の考え方や学校教育など、他者にとって都合の良い人間となることが良いことであると、洗脳という名の教育を受けています。(過激な発言だな!)
だから、自分自身の人生を歩めていない事にも気が付いていません。

他者からの頼み事

友達や近所の人など、他者からの頼み事で、こんなこと引き受けるのは嫌だな、でも断ると、いろんな嫌な噂を広められないか心配だし、今度会う時に会いにくいな。
こんなことを思ったことはありませんか?
断る的確な理由が簡単に見つかれば良いけれど、断る理由がうまく見つけられないときは困りますね。
誰かがやらなければならないけれど、自分がしなければならない必要もないし、他の暇な人がすれば良いのに、、、、
こんなことを考えだすと、自分だと面倒な問答を繰り返して考えるのが「めんどくさい」から、結局、頼み事を引き受けてしまいます。
自己犠牲で成り立っていることに感じることは、何故か「めんどくさい」と考えてしまう自分がいます。

頼み事の内容

頼まれる事には、いろんな種類の物があると思いますが、「めんどくさい」のは、子供の学校の役員、町内会の役員、職場の委員会など、自分には興味が薄いところの人付き合いですね。
会社の仕事が忙しくで無理だとか、今年は海外出張があるから無理、といった理由(他者の責任にできる)があると断る事ができるのだが、自営業者の人(自分の責任になる)は断り難いですね。
あとは、個人からのお金の貸し借りも、何となく「めんどくさい」感じがあります。
お金の頼み事は、キッパリと断った方が良いのではないかと思いますね。

「めんどくさい」のは何で?

一つは、お金で縛られる時間ではないのですが、立場や責任という自分で自分を鎖で縛るという事。
もうひとつは、コントロール不能な他人の感情に関わることを考えなければならない事。
それらに伴う不安な心が、「めんどくさい」と感じる正体だと考えます。

自己犠牲と考えると

他者からの依頼をとことん断って、引き受けない事、そして、他者からの干渉に付き合わない、他者の感情に振り回されないという方法もありますが、普通の人は後ろめたい感情が発生するのではないかと思います。
社会のため、日本のため、世界のため、子供たちのため、みんなのため?
なんで、他人のために、あれこれと「めんどくさい」事をしなければならないの?
自己犠牲で世の中は成り立っているのですか?
このように考えると、他人の時間を生きることになります。
また、自己犠牲と考えると、他人にも同じことを強要することにもなります。

自分を人生の主役にするには、

他者からの依頼を自己犠牲と考えると、何故かネガティブな感じがします。
しかし、ここから一歩進める事で、自分の時間にできる可能性があることに注目してください。
「めんどくさい」頼まれごとでも、自分で進んで考えて行動することは、自分の時間を生きることになります。
事実、私ごとをするときよりも、他人のためにするときの方が、何故かたくさん努力をするように感じます。
自分の事はすぐ諦めてしまうけれど、他者からの依頼だと自分のことよりも頑張ってしまう事が多いかもしれません。
この自己犠牲を考えていたときに、先の太平洋戦争で特攻隊に志願して散っていった若者のことを思いました。
家族のため、日本のために、自らの命を捧げた若者たち、
勇敢で、立派な若者だったのだろうと
でも、彼らの心には自己犠牲という気持ちはなかったのかもしれませんが、悲しいけれど、他人のための教育(洗脳)をされた影響なのかも知れません。

アルバイトや仕事は他者の時間を生きている

我々は、お金という価値を自分の人生の時間と交換して生きていると考える事ができます。
他者からお金で拘束されている時間は、自分の時間ではないと考えます。
ただ、自分のしたい事で、お金を得ているので有れば、自分の時間を生きていることになるかもしれません。
また、今後のために勉強を兼ねた仕事は、一部自分の時間を生きていることになるのかもしれません。
じゃ、自分の時間とは、何だろうか?
考えてみると、人生の時間は有限である。
自分が明日死んでしまっても、自分の人生に納得できる人生、自分の人生を生き、人生の主役は自分だったと思える事だと考えます。
そう考えると、やり残した事があると、心残りだし、行ってみたいところもあったが、仕事が忙しくて行けなかったり、そう、自分が出来ることをしなかった後悔が残る人生が、自分が人生の脇役だったと感じる時かもしれません。

人生の主役

自分が死ぬ間際に、「色々あったけど、良い人生だった」と
思える事が自分の時間を生きた証かもしれません。

※この文章はjuly-2020に書きました。POP KARAIE 唐家克也

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