西洋文化との融合

日本人の中に西洋の文化や考え方が導入されて、一体どうなったのだろうか?

佐渡島 金山跡北沢浮遊選鉱場 

全体主義の日本と個人主義の西欧の融合による日本人の感情の変化を考えてみた。


鎖国中の江戸時代

日本独自の文化は、江戸時代の鎖国で培われたと言われています。
良くも悪くも、その文化は現代にも引き継がれている部分は多いと考えます。

基本的な、日本の全体主義は、江戸時代の5人組のような、連帯責任という形で残っています。(グループの中の一人が失敗したとしても、そのグループの責任となる不思議なルールです。他人のすることをよく見て監視しろよということですね)

だから、個人を攻撃する前に、その個人が所属する団体の方に注目が集まってしまいます。
グループ責任の考え方が、江戸時代の責任の考え方であり、日本の統治の仕組みだったようです。

グループの良い点は、共同作業にあると考えます。
小さな個人の力よりも、団体の力を合わせた方が、大きな力を発揮できるからです。

ただ、力を発揮する方向が異なれば、マイナスになる可能性がありますが、団体責任という方法で、回避しています。

日本人の団体の力を結集することを大切にする文化は、日本の自然環境によるものと考察できます。
火山噴火、雨による洪水、地震や津波など、日本列島は多くの自然災害とともに生きてきた民族です。

これらの自然と共存するには、手を取り合って地域全体で対策するしかなかったのです。


西洋文化への憧れ

日本人の西洋文化への憧れは、強いものへの憧れ、さらに、植民地化されないための日本人の意地など、西洋の文化を急激に、そして貪欲に吸収していきました。

西洋の強さの一つは、産業革命によるところが大きいと思います。
そして、日本人は、明治以降、さまざまな西洋の文化を丸ごと真似をしながら、力を蓄えていきました。

追いつけ、追い越せと、エコノミックアニマルと呼ばれるほど、国民みんなが一生懸命に働いで築いてきたのが現在の日本の姿だと思います。


西洋文化と日本の文化で異なるところは、(ベネディクト人類学者)

日本の文化は、もともと恥の文化です。
誰にも恥ずかしい姿を見せることはできない。

恥ずかしい姿を他人様に見せるくらいならば死を選ぶくらいのモノです。
しかし、誰も見ていなければ、恥ずかしくなければ、なんでも出来てしまうのが欠点です。

旅の恥は書き捨て、赤信号みんなで渡れば怖くない、
恥の文化だと、そうなります。(日本人みんなではありませんよ)

西洋の文化とは、罪の文化です。
他人の目よりも、神様が見ているというところが異なります。

正しいか、正しくないか、絶対的な基準が人間の行動を決めていることになります。
西洋の文化では、間違いを起こしたら、謝罪をすれば良いのです。


西洋の個人主義の文化を融合する

西洋の罪の文化が素直に日本に受け入れられれば良いのですが、日本の恥の文化はどんどんと忘れ去られようとしています。

すると、恥の文化でも罪の文化でもない、ただ単に自分の欲求を満たすだけの秩序のない時代になる可能性があります。(現代は欲求の時代になっていますが)

文化は一旦置いといて、
鎖国で育まれた江戸時代の職人文化と融合して、西洋の産業を吸収していったと考えます。

職人の探究心や工夫によって作られるメイドインジャパンは西洋をも凌ぐ技術を構築したとも言えます。
江戸時代に鎖国で培われた職人や知識人の役割は大きいかもしれません。


日本の西洋文化の急激な吸収は、植民地化を防ぐためのもの

西洋の植民地化は、世界のほとんどの国に及んでいました。
日本は、西洋から最も遠く、また、大した資源もなかったのが植民地化されなかった理由かもしれません。

アメリカは日本の隣の中国を植民地化するために、日本の開国を迫ってきました。
たまたま、アメリカは南北戦争が勃発したので、日本の開国どころではなくなったのが日本には幸(さいわい)しました。

この間、日本は明治維新を行い、富国強兵制作を行って、西洋からの植民地化を防いだ形となりました。


恥の文化のめんどくさい

西洋の文化の融合で、日本人の意識がどのように変化したのでしょうか?
自分の世代は(1960年代生まれ)は、親や先生たち、社会に出てからも、江戸時代と変わりのない恥の文化でした。

今でもその影響は計り知れないほど刻み込まれています。
基本的に、恥という他人からの目が、秩序を保つことになるのですが、

その目がないところでは、秩序を保つことができないということになります。
山林にゴミが捨てられていたりすると、何で?と思いますが、恥の文化では人の目のないところなので、そうなってしまうのではないかと思います。

さらに、最近では、「恥も外聞もない」人たちが増えてきたように感じます。
恥の文化で一定の秩序は保たれてきていたのが、秩序のない世界になってしまいます。

特に、日本文化は馴れ合いの中に規則を見つけるような人間関係であり、明文化されていない規則なので、その規則を守らなくても罰することができないことになる。

恥と感じなければ、なんでもできてしまうことになります。

恥の文化の崩壊は、今後の日本人は、ちょっと「めんどくさい」ことになりそうですね。


※この文章はjuly-2020に書きました。POP KARAIE 唐家克也

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