> めんどくさいコト > 家の中にあふれる不要なモノ

家の中にあふれる不要なモノ

家の中に溢れる不要なモノをどうすれば良いのだろうか?

新築の家に入ってから、3人の子育てがほぼ終わって24年が過ぎた結果は、
よく見ると、もう使わなくなったモノであふれかえっていました。


普段から目にする要らないもの

仕事をしていた時は、家の中の事はそんなに気にはならなかったのですが、退職をして、家にいる時間が長くなると、いろんなものが目に飛び込んで来て、自分の思考を妨げてしまいます。

必要ないと判断できれば、すぐにゴミ箱に入れていましたが、
ところが、押入れの中に、なんでこんなに、たくさんのいらないものが出てくるの?

電気製品のなかで、パソコンに関連するもの、デジカメ、PDA、無線ルーター、ハブ、など、時代とともに、変化する、コネクターの規格や、通信のスピードで変化するものなど、
時代の急激な変化は、その変化に対応しようとすると、不要になるゴミがたくさん出てくるんだなと思いました。

 

時代の変化に対応するには

VHSのビデオテープ、音楽CD、パソコンソフトのCD、ビデオカメラのテープ、MOまで、出てきたが、再生する機器、将来に再生するかどうか、ただ、捨ててしまえば再生する必要もないし、と思いながら奥様のために残しておきます。(多分不要になると思いますが)

これらの製品は、世の中の時代の変化を感じます。インターネットの時代になり、情報をクラウドという形で保存再生できるように、そして、ほとんど無料や定額で可能になると、情報の世界は一変するのですね。

ビデオテープは不要になるとは思っていましたが、音楽CDやその他のデーターCDまでもが、通信技術の進歩やデーターの保存するメディアの価格低下、さらに、さまざまな変化は、レンタルビデオはネット配信の映画に、音楽も定額のネット配信で聞くことが可能になって、我々は物理的なモノを持つ必要がなくなったのです。

 

ゴミとなるモノの価値

自分は、よくもこんなにたくさんの不要なものを沢山買ってしまったのか、同じ過ちを繰り返さないためには考察は必要です。

これらのゴミと成り果てたモノは、本当に、どのくらいの役に立ったのか?
そんなことを考えると、お金をドブに捨てたと感じることが多いので、だた、反省しかないと感じています。

さらに、現在の片付けるという時間を消費しているのだから、尚更無駄だったということですね。

それでも、過去のものに出会うと、その時代のことが思い出されて懐かしい気分にはなるので、少し癒されている感じはありますが、
ゴミを目の前にして、すぐに、現実となってしまいます。

 

このめんどくさい感じを忘れないように、

今後は、モノを買うときには、少し未来の自分を思いながら、本当に使うだろうか、どうだろうかと考えることも思いましたが、そうすると買うまで、頭の中の隅に残ってしまうこともあります。

そうすると、自分の中で先に進めないことになるので、そんなものは、トットと買って、いらなくなったら捨てるくらいのスタンスの方が良いのかな、と思います。

それ以外のもの、例えば、便利グッズは、よく考えてから買うようにしたいです。
値段よりも、長く使えるかどうか、ここがポイントかも知れません。

そして、自分の時間を作ってくれるモノには積極的に投資するようにすべきかもしれません。

 

私たち人間は、さまざまな人間から感情という影響を受けて生きている

ネット販売では、消費者が商品の評価をすることで、製品を売り込むことができるようになりました。

ある程度の性能対価格の良い製品を簡単に選ぶことができるようになったのと、さらに、おすすめの商品をAI(人工知能)を使ってパソコンやタブレットに表示させ、購買欲求を刺激します。

自分もこの罠にまんまと引っかかり、無駄な買い物を沢山しているように思います。
他の人からの感情を、うまくネットワークに載せることで、共感を作って、共鳴させ、同じ行動をさせているのだと思います。

物欲、所有欲など人間のもつ「めんどくさい」欲求をどうやって制御したら良いものか、実は今でもネット販売の罠にかかりまくっています。

 

自分家には猫がいます。

妻は、他人の猫の動画を見て、楽しんでいるようですが、その中に猫のグッズを見つけると、なぜかいつの間にか猫のグッズが増えているのが私の家です。

ネットの社会は、誰もが欲すれば、知らないことを知ることができる、便利な情報社会ですが、反面、無駄な情報が沢山あります。

無駄な情報の方が多いのかも知れません。無駄な情報と商品が結びつけば、家の中のゴミは入れ替わるだけで、数年後には同じ状態になるのだろうか。

 

今は「めんどくさい」けど、心を鬼にして捨てるのみ 

要らないものを捨てているつもりなのですが、ここにも歪んだ感情が存在しているのです。

高値で買ったものは意外と捨てられなかったり、使う事はもうないけれど、思い入れがあったり、もう要らないと思って捨てたが、捨てた後に必要になったりと、本当に捨てる事は難しいですね。

捨てるという行為は

自分の思考と時間を消費し、人生の思考の掃除と考えるか、それとも、人生の無駄な時間と考えるか、全ては自分が選択した結果であり、それを受け入れるしかないのであった。​

物質文明から離れることができない「めんどくさい」欲望は、これからも続くであろう。<

次の時代は、物質から仮想へ

捨てるという行為をするためには、手に入れるという行為が必要でした。これからの時代は、さまざまなモノが仮想化されるのだろうと考えます。

太平洋戦争が終わって、日本人には、何も残っていませんでした。

特に、モノや食料、畑を耕す金属の道具(くわなど)でさえ戦争のために没収されたと聞きました。

そのため、昭和の人たちは、物質文明が好きで、ゴミになることはわかっていても、物溜め込む習性が身につきました。

時代は、モノから仮想に移行してきています。

人間の行動は、感情(欲求)で動いていると考えると、物理的なものは全て仮想化できれば、良いわけです。仮想化することで、何でもリアルタイムに欲求が満たされる可能性があります。

そして、仮想化は、元々何もないのでゴミが出ません。例えば、家で映画を見たい時は、
テレビの映画番組 → レンタルビデオ → レンタルDVD → ネットの映画サイト
という風に変化してきました。

時間の制限や行動の短縮化など、便利だと感じるものに人間の行動が移行して行くようです。さらに、人間が仮想の中で、生きることができれば、

ゴミは少なくなって、

もしかしたら、人間の悩みも解消してしまうかもしれません。

現代人には、物質文明にどっぷり浸かっているので、仮想の時代は想像もできませんが、意外と進歩のスピードが加速しているので、いろんなものが仮想化していく現実を見れるかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です