言い訳

何かをする前から言い訳を考えている

人は、何かをする前から、「もし、失敗したらどうしよう」「見つかったらどうしよう」と言い訳を考えながら行動することがあります。

一度の失敗で信頼をなくすと

一度失敗したりすると、根掘り葉掘り、原因を聞かれて、次から何をするにも、理由を考えて、言い訳を用意してから行動してしまうことがあります。
2度目からは、行動をする前から、いちいち余計な言い訳を考えなければならないので、とてもめんどくさいと感じるのです。
他者がどう思うか、どう考えるか、自分自身が気になって、自分で自分の行動を制限してしまうことがあります。
特に、他人に関わりのあることは、思っていても、すぐには行動できなくなってしまいます。
こうなると、第三者の同意がないと、なかなか前に進めなくなるのです。

選択の正当性

何か判断をするときに、自分の都合の良い選択をしてしまった時、判断理由の正当性を考えることがあります。
あとから何で、そんな判断をしたのか、理由を考えたり、言い訳を考えていることがあります。
理由は自分自身が納得するためのものなので、仕方ないのですが、言い訳は、他者がどう思うかを考えるので、一時凌ぎの無駄なことのように感じます。
こんな時の自分は、この言い訳を考える行為がとてもめんどくさいと感じるのです。

じゃ、自分はどんな時に言い訳を考えるのだろうか?

自分に積極的に干渉してくる他者がいる場合に多いように思います。
仕事の上司に対して、恋人に対して、文句の多い人に対して、言い訳を考えている場合が多いです。
言い訳を準備して、自分を正当化する、自分は頑張ったけれどできなかった、本当はやれたけれど、他から横槍が入って上手くいかなかった、
そんなことを頭の中でぐるぐると回る時があります。
失敗することは多々あるし、自分を制御しきれないこと、ボケーとすること、
自分で理由を考えて、対処すればいいだけなのに、

団体行動が苦手な理由

団体行動が苦手な自分は、行動の選択は他人任せにしてしまう傾向があるのは、他人からの干渉をたくさん経験したからかもしれません。
でも、自分自身で解決できることは積極的に行動できると思います。
他人が関わると、めんどくさいと感じるのは、他人がどう思うかを考えて、考慮して行動しなければならないこと、
どう考えるかなんて、わかるはずがないから、頭の中で、何通りも言い訳を考えて、自分の思考が無限ループのようになってしまうのです。
将棋の駒を一手進めるのに、何通りもの手を考えるのに、少し似ているかもしれません。

課題の分離(アドラー心理学から)

言い訳を考えるということは、自分がこの言い訳で他者にどのように思われるのをか考える、ということです。
他者の考えを、自分の課題にはしない、他者の課題には踏み込まない、ということです。
この場合、自分自身にちゃんとした理由があれば、その行為は、成功しようと、失敗しようと適当に正当化されるように思います。
失敗の理由を考えることは、自分を成長させるが、 言い訳は、自分を成長させるわけではなく、他者へ自分の正当性を証明するだけで、何も進歩も有効性もないということです。

偉人たちには、世の中最善の一手というものが存在して、それに向かって行くような感覚があったと感じているのかもしれませんが、実は、成功というモノは存在せず、試行錯誤と自分の周りの環境の偶然がもたらすものが成功なんだろうと思います。
この環境の中には、人間関係や時代の流れや経済も含まれる広義の環境ですが。
簡単に言えば、「数打ちゃ当たる」
最後に笑ったものが勝ちです。

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