習慣、固定観念は過去の遺物

人には固定観念という一度思い込んだら忘れられない習慣や過去からの習慣があります

「めんどうくさい」ことで、いつも気になる、意味の理解できない習慣があります。
時代が変化し環境が変化しても、守ろうとする習慣があります。

時代の変化で淘汰される自然の法則

時代の変化(環境も含めて)に対応できない事、モノ、人、動植物は、自然淘汰されることを知らなければなりません。
ただ、希少価値が高まれば、生き続けることも可能なものもあるのも事実です。
数十年前に、日本では電話機に繋いでコーピーを送れる、当時では画期的な送信手段FAX(ファックス)がありました。
海外では、パソコンとインターネット、そしてE-メールが、その役割の代用となりましたが、日本では、数年前までFAXが主流でした。
また、現在でも一部の採用試験には、履歴書は、紙に写真を貼って履歴を記入し、会社宛に送付しなければなりませんでした。
世界と交流している現在でも、日本には、鎖国をしていた時の影響が残っているのかもしれません。

時代の変化に対応できない人たち

人間はこうあるべき、旅行はこうあるべき、会社の面接はこうあるべきだ!
そうです、この「〜べきこと」が日本社会の最大のめんどくさいことなのかもしれません。
これまでの経験を重視して、時代の変化に遅れている人たちは、時代に遅れていることにも気づいていないと思います。
日本の産業は、今のところは、過去の遺産(眠っている技術も含めて)が残っているので、当分の間は大丈夫と思いますが、海外の産業に取って代わる、代わったものも数知れずあります。
固定観念という不必要な経験則は、「めんどくさい」だけですよ。
さらに、日本の敎育は、知識の詰め込み、会話できない英語教育、生活に必要のないむずかしい漢字、etcと過去の有識者の固定観念が作った教育をいまだに引きずってきました。
特に、試験のための教育は、もう、過去のものです。
教育は、学校の名誉のため、指導した先生の評価ため、子供に順番をつけたりするためにあるのではありません。
そして、させられる教育は面白くないし「めんどくさい」だけだと思います。
積極的に自分から知識を習得することは、本来は楽しいことだと思います。

「あるべき」という言葉は、めんどくさい!固定観念という日本人の最大のマイナス

「あるべき」という言葉は、その人が成功または失敗した時の経験則からきている言葉だと考えます。
しかし、どんどん時代は変化し、経済の流れの変化、さらに、地球環境の変化、海水温や気温の変化、さらに天変地異がある可能性など、我々が生き残って子孫を残すには、環境に適合できなければならないという事実があります。
経験則は、短期的には必要なことですが、時代の変化に対応するには、邪魔になることが多々あります。
人間の過去の重大な失敗をしないためには、「歴史は繰り返される」と言われていますので、過去の歴史は重要なことだと考えます。
ただ、流れが加速している現在の環境下では、個人の経験則が邪魔になる可能性はあると思います。

神社のお祓いや、神様、仏様、これらは時代には迎合する必要はないのかもしれない。

これらは、歴史に関することですが、人の考え方が変化すれば、それに携わる人たちも、少し変化する必要があるのだと思います。
ただ、長年で築いたことは、そう簡単には変化しないのかもしれません。
日本は、人間の考えの及ばないこと、天変地異、大きな災害、地震、雷、津波、台風、土砂崩れ、河川の氾濫、大雪など、日本には数々の試練が人間に降りかかってきました。
それは、神様の感情と考えて、その感情を抑えるための、神社であり、そこに大きな力のあった人や山、その他もろもろを祀って人間の願う心で封じ込め、何もなければ、神様に感謝することでありました。
その感謝のお祝いが祭りとなったと考えることができます。
さまざまな自然現象は、次々と原因が明らかになって、神社の存在は、日本人の歴史という形で残ることになるかもしれませんが、自然淘汰という観点からは、小さなものから無くなっていく可能性はあります。
ただし、神社仏閣には歴史があって、世界に誇れる建造物、木造建築の文化や技術、何百年も続いたそれらの文化と価値は、日本人の心に宿っていることなどを考えると、形を変えながら続いていくものと思われます。

経験則や理論は環境で変化するもの

経験は、短期間には有効なことかもしれませんが、環境因子が一つでも変化したら、無効になる可能性が高いものです。
2020年の日本の夏は、人間が使うエネルギーで温室効果ガスであるCO2を大量に排出した結果、人の体温を上回ることが多くなってきました。
冷房の空気は体を冷やすからあまり使わない方が良いと言われてきましたが、ここ最近は、積極的に体温調整に使うように報道されるようになりました。
環境が変化すれば、一つでも因子が変化すれば、これまでの経験則は役に立たないことがあることを知る必要があります。
これは、理論でも同様のことが言えますね!
個人の好き嫌いでも同じことが言えます。
ある人が、小さい頃に食べた時トマトが嫌いになりました。
嫌いという印象だけど、トマトという名前を聞いただけで、鳥肌が立ちます。
その人は、一生、トマトを食べずに過ごします。
その時のトマトは、嫌な味がしたのかもしれませんが、大人になって味覚が変化したり、トマト自体の品種改良があって、おいしくなっているかもしれません。
ニュートンの法則で説明できない理論は、アインシュタインの特殊相対性理論で説明できるようになりました。
理論も、ある環境因子、(この場合は時代の進歩ですが)の時は正しいけれど、因子が変化すると正しいとは言えないのです。
「めんどくさい」と感じる心、何か違うぞ!、違和感を感じるなぁ!ちょっと変じゃないか?
それが、将来、自分たちが生き延びるための、重要な感性なのかもしれせん。

技術革新という変化

現在の情報の伝達スピードは一瞬で地球の裏側にいる人に到達します。
インターネットという海を跨いだ光ケーブルがその役目をしています。
さらに、近い距離では携帯電話回線が電波で情報をやり取りします。
さまざまな技術革新や制御が、安価な技術で構築できるようになってきています。
この技術革新に追いつけない人たちは、わからないという不安から余計な口出しをして、「めんどくさい」邪魔をします。
未知なるものへの不安や恐怖があるので、仕方がないのかもしれません。
この変化に対応できるのは、古い経験しか理解できない人ではなく、新しい時代を生きる人たちだと考えます。
国や会社、団体は、常日頃から新陳代謝をしながら、新しい環境に対応できるように、新しい人材を入れながら、変化を楽しむくらいであった方が良いのかもしれません。

固定観念や経験則、理論など時代や環境の変化で役に立たなくなる可能性がある。

現代人は、行き着くところまで行かないと変わることができない動物なのかもしれません。
変化に対応できないものは、自然淘汰されるという自然の節理によって、消え去る運命にあるのだから。

※この文章はjune-2020に書きました。POP KARAIE 唐家克也

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