必要か不要か、それが問題だ!

必要なのか不要なのか、本当はよく分からないことが多い

めんどくさいという感覚で判断してみる

まずは、モノの必要、不要から考えてみます

ひとつのモノに注目し、これは不要か必要か考えてみます。
不要なものは、心を鬼にして捨ててしまう方が良いだろうと思います。
必要なものは、普段使うものですが、ここでも、なくても良いものがあります。
人間は新しいものを取り入れることは、むずかくないのですが、一度、良いと思ったものは、なかなか捨てることができません。
また、苦労して手に入れた物ほど、捨てるのに時間がかかる傾向もあります。
時代とともに、環境の変化とともに、良いものや便利なものは、変化していくのですが、めんどくさいですが、人間は変化できないのです。
変化するには多大な努力と力、または、大きな転機(天変地異、壊滅、崩壊など)が必要ですね。

過去の制度、過去の伝統

制度や伝統は、長い年月を費やして作られてきたことなので、個人で判断して取捨選択ができません。
周りの人たちを巻き込んで議論しても、変化を求めない人たちの反対に会うし、それ以前に、そんなことは当たり前のことになっているので、議論の対象にもならないでしょう。
めんどくさいけれど、結局、無駄な制度、伝統、習慣はなくならないということです。
人間はせっかく得たものを簡単には捨てることができない、めんどうな生物なのです。
現在の日本国憲法は、時代に取り残されている制度と言えるでしょう。
憲法の、文章の解釈適用を時代に合わせて運用していますが、難しい部分もあると思われます。
私なんか、「憲法何条がどうのこうの」という問題は、めんどくさいので、議論をする気も、したいとも思いません。
憲法の基本は、「国民の多くの人たちが幸せになれる」こと、それに向かって議論を進めるのならば、自分も参加してみたいなとは思いますが、「憲法9条を守れだ」とか、「自衛隊は違憲だ」などいう人は、基本が憲法9条になっているが、国が国民を守ことは、当然のことで、そのために我々は税金を納めて、日本人の命と生活を守っていただいているのです。
自衛隊は国を守るためには、今の世界情勢を考えると、当然日本には必要な機関だと思いますが、皆さんどうでしょうか。
反対の意見には、変わる不安という感情が、そのようにさせているのではないかと考えています。

古いものを捨てることができるのは、大きな環境の変化が起こったときだろうか。

人間悲しいかな、古い人間ほど、さまざまな経験を積んできて、これでどんなことが起こっても何とかなる、自分だけは大丈夫、そんなことを考えています。
結局、切羽詰まって、後がなくならないと、変われない、それが人間だと思います。
インターネットの時代になって情報革命が、起こっていますが、あまり関係のないところでは対岸の火事くらいの感覚かもしれませんが、確実に、日本の社会も変化を避けられないでしょう。
例えば、情報の世界のことで、テレビが普及して、何が最も日本で変化したでしょうか。
それは、田舎の若者の都会への流出が激しくなって、田舎の高年齢化が一気に加速したことでしょうか。
理由はあえて述べませんが、
インターネットが普及して、物資の流通、お金の流れ、世界の情報、経済の根底から覆ると考えます。
これは、大きな環境の変化の一つであると言えます。

必要と不要という判断は、個人の感情によるめんどくさいモノです。

決まりごとはできるだけ簡潔にして、誰もが守れるような仕組みを作ること、罰則はできるだけ作らなくて良い方が、決まり事の抜け道を考えるめんどくさい人は少なくなります。
人は行動を制限されるとめんどくさいと感じるし、規則を破って優越感を覚える人もいます。
必要なこと、不要なこと、その判断は、一人ひとりに委ねられていますが、もしも判断に迷うことがあったならば、一度原点に戻って、他者の感情を考えずに、自分個人の感情のみで考えてみることも必要ではないかと思います。

感情が、必要不要の判断を歪めているのだということを知らなければなりません。
感情は、「めんどくさい」ですね。

※この文章はjune-2020に書きました。POP KARAIE 唐家克也

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